ガットギターの楽しみ方
ギターにはたくさんの種類がありますが、私はナイロン弦を張った通称クラシックギターが大好きです。
しかし習い始めの頃はスチール弦を使用していました(親の知人がスチール弦を使用)、 それでなかなかナイロンの音には馴染めなかったです。
ナイロン弦が世に出るまでは、ガット弦がクラシック分野で使われていたようです。
ガット弦とは羊の腸より作られた弦で、品質的にはすぐ切れる厄介な代物だったようです。このネームをとった
ギターが、ガットギターです。スチール弦を張って、このギターで歌謡曲等など弾くギター弾きもいましたが、
今ではクラシック曲を主流に弾くのでクラシックギターと呼ばれています。勿論ナイロン弦使用
このナイロン弦は巨匠セゴビアとオーガスチン氏のコンビで開発、発展、今日に至っています。
(プロフィールのつぶやき)
私の最初の先生(師)は近所のメガネ店の若主人です。人の紹介で出会いました。今だから分かりますが、当時の教本より進んでいるテクニックを持っているところもあり、よく自身の師の話しをされていました。
高二の私はやがて師の出す音色に魅せられ、師の指の動きに見とれていました。私とは違う柔らかな丸びを
おびたふくよかな手の甲。もう50年以上経ちますが当時のレッスン風景が思い出されます。
あの時代こんな地方の城下町に、楽譜を見てギターを弾く人がいるなんて信じられなかったです。
やがてNHKテレビで阿部保夫先生の「ギター教室」が始まり、喜び勇んで手工ギターを師に選んでもらい購入、
熱中しました。休みの日は一日中ギターです。「ギター教室」の内容、シーンは今でも覚えています。
当時ベンチャーズが全盛で、私も少なからずエレキバンドに手を染めていましたが(担当はサイドギター)、
何故か物足りなくて進歩はなかったです。(イエペスのLPを購入、アラビア風奇想曲にしびれたからかな)
このLPの付属楽譜は重宝しました。
社会人となり福岡を皮切りに大分、姫路、岡山、名古屋で指導を受け、趣味として練習に励んでいましたが、50代で左小指のディピュイトラン拘縮を発病、その後手術でなんとか回復するも今度は右小指が発病、最近手術をして今に至っています。ギターは以前の6割がたしか弾けないが、楽しみは倍増してます。
同病名でお悩みの方、アドバイスが出来ますよ。
最終の地、名古屋では二人の先生に師事しています。県下中心に当時40数教室を抱えるH先生から「私の生徒の中で5本の指に入る」と言わており、当地に「ギター教室」の開設を勧められるが辞退する。現在当時の同門3人程がプロに転向している。
もう一人は中部ギター界を代表する演奏家S先生です。
「あの時のあの雄大な心(演奏)はどこ行った、あの心は偽物か!」、得意げに弾いた後にかえってきた師の怒りの
言葉。 もう30年以上前になります。当時は理解に苦しんだが今では分かります。
2011年、精油会社定年退職を機会に、知多市民大学ちた塾の教員及びボランティア演奏に取り組んでいます。
これまでクラシック畑で来ましたが、ボランティアでは日本の歌、抒情歌、歌謡曲等が喜ばれるので、皆さんに往年の
良き歌、若かりし頃の思い出の歌をもう一度、の思いから方向転換をしました、(長年のギター協会会員脱会)。
始めてみると以外に難しく、面白いのでハマっています。戦前からJポップまで、、、日本の歌ていいですね。
この歳になって歌謡曲の良さが分かります。
クラシック曲は指の慣らしを兼ねて思い出す程度に楽しんでいます。余裕が出来れば気合いをいれます。
生徒さんには「ギターをマスターするお手伝い」を、ボランティアでは「より多くの人に喜びを」、
私自身は16歳の時に抱いた夢「この楽器をマスターする」に向かって更なる仕上げを。
(ガットギター、通称クラシックギターの魅力はどこ?)
私は単純に 1.音楽を一人でつくれるソロ楽器 2.演奏.練習に場所、時間を選ばない 3.自身の救済楽器
4.自分で調弦できる 5.音楽ジャンルを選ばない 6.伴奏楽器にもなる
7.楽譜に難易度がある 8.多数の編曲者のアレンジを楽しめる 9.音色を変える楽しみ
10.攻略(楽譜を音楽に変える)の楽しみ 11.各国の時代を選ばない音楽の再現
12.気軽に出来る(娯楽、高尚、専門) 13.自己啓発、研鑽 など等
1.燃焼に3要素(空気、可燃物、着火原)があるように、音楽にも3要素(メロデー、ハーモニー、リズム)
がありこの同時進行が音楽。この3つを同時に表現できる楽器は、鍵盤楽器を除けば少ない。
ガットギターはこれが可能です。但し和音と音量の乏しいのがマイナス、だがこれがプラスになる。
ブログ http://02953712.at.webry.info/
と